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空飛ぶ絨毯に秘められた歴史-19

執筆者の写真: 数寄の絨毯数寄の絨毯

職人はより大きな絨毯を織り始めたが、より多くの人を乗せると早さが緩慢となり、高度を稼げなくなった。しかし、ひとつの逸話があり、地上の多くの人たちに目撃されたのだが、サマルカンドからイスファハーンへとターバンを巻いた男たちの一団が、つむじ風の速さで飛び過ぎたということである。このことは17世紀につくられた他の珍しい文献の模写の中で確証されたのだが、一人の目撃者が言明しているのは、「我々は空に回転する円盤を見た。それは我々の村(ニーシャープール)の上を飛び越え、火と硫黄の尾を引いて」また他の者は「ジンの群れが我々隊商の上をホルムズ海峡の方へ向かって」と語っている。(原本である13世紀の文献は残されていない)


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シリーズ解説-パフラヴィー期のペルシア絨毯[7]

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