PERSIAN CARPET

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ペルシア絨毯情報

◆ガシュガーイー  Qashqa’i/Ghashgha’i  カシュガイ

ガシュガーイー族は、アゼルバイジャン語に近いトルコ語方言を話すトルコ系遊牧民である。彼らは13世紀モンゴルの襲来を避けるため北方からファールス地方へと逃れてきたセルジュークの生き残りだといわれている。ガシュガーイーという言葉の由来は諸説あり、トルコ語の動詞「カチュマク=逃げる」からきたとも、シャー・アッバースによりファールス地方の部族の管理を委託されたジャーニー・アガー・ガシュガーイーの名に由来するともいわれる。しかし、ガシュガーイーの最初の族長であるチャヒールー族の首長キャリーム・ハーン・ザンドの統治(1779年)まで部族の形成はなかったという説もある。口承による伝説は数多くあるが矛盾点も多く、採用しがたいとされる。ガシュガーイー族の中で、44あるといわれる支族のうち絨毯をつくる支族は主に次の8支族である。また単一部族としてのガシュガーイー族と部族連合としてのガシュガーイー連合は特に区別して語られることはないが、連合の中には、バルーチやロル、アラブなども参加して共同体を形成している。

*キャシュクーリー  Kashkuli

ガシュガーイー絨毯の約1/10は、キャシュクーリーによってつくられており、重要な位置を占める。フェルーズアーバードなどでは、工房で経糸に綿を使用した絨毯もつくられている。大きくは、9割を占めるキャシュクーリー・ボゾルグと1割のキャシュクーリー・クーチェクに分かれ、およそ60のグループがある。ブールーあるいはブーリー(チャガール)と呼ばれる小さなグループもキャシュクーリーに入れられる。

*シェシュボルーキー  Shesh Boluki

ガシュガーイー族の中では最も大きな織りグループ。ガシュガーイー絨毯のおよそ2/5近くが、シェシュボルーキーによって織られている。25グループのうち8グループが、絨毯を織る。有名なグループとしては、ヘイバトルー、アラブチャルパーンルー、クーヒー、ドゥーゲズルーなど。アーバーデの北、ハルジェスターンの「6つの地区」から来たことからこの名がある。支族のクーヒーが、良品をつくる。20の大きなグループと20の小さなグループからなる。

*アマレ  Amaleh

アマレとは、働く人という意味で、古くから族長の親衛部隊としてまた族長一族として知られている。ガシュガーイーの族長は伝統的にこの氏族のシャーヒールーという家族から出ている。この氏族の織る絨毯は、ハーシェムハーニーと呼ばれ、キャシュクーリーのブーリーと良く似たデザインのものである。アールドキャパーンという支族のキリムやギャッベは有名。

*サフィーハーニー  Safikhani

おそらくロレスターンから移動してきたグループと考えられている。

*ラヒームルー(ラヒーミー)  Rahimlu (Rahimi)

部族として独立していないが、サフィーハーニーの中に混在している。

*エグダール  Eghdar

織られている絨毯は部族の長のためのもので、たいへん珍しい。エグタールは、アマレ氏族の中の1セクトとされる場合もある。かつてはオグズ族の23あった氏族の一つであった。

*チャガーニー  Chagani

チャガーニーは2つの部族からなるが、アマレの中に紛れ込み、アマレと共に移動する。

*ダッレシューリー  Darreh Shouri

ダッレは谷、シュールは塩分で、セミーロン近くの「塩の谷」を意味する。ほとんどギャッベとキリムのみをつくる。シーラーズ郊外の支族ボルヴァルディーが良品をつくる。ほかに強盗集団を意味するギャッレザン Gallehzan、ペルシア語を知らない人たちを意味するファルスィー・マダーン Farsi Madan、ガラチェ Qarachehなどの支族がある。

*シェキャルルー Shekarlou

この部族はもうなくなったが、もとロル系でガシュガーイー連合に加わった部族で、絨毯づくりでは名高い部族である。かつてジグムント・フロイトSigmund Freud (1856-1939)が診療室の患者用のカウチに用いていたという絨毯もこれである。

 

◆アフシャール  Afshar  アフシャーリー

トルコ系オグズ支族の子孫とされている遊牧民族で、アーザルバーイージャーン、ビージャール、ケルマーン、ホラーサーンとイランの4つの離れた場所に居住して遊牧、半遊牧、あるいは定住生活を営む。また、カフカースや東トルコなど、イラン以外の飛び地にも見かける。彼らは15世紀にイスラーム僧集団などの影響を受けた軍事的、政治的組織であるキズィル・バーシュ/ゲゼル・バーシュ(「赤いターバン」からきた言葉) 同盟を構成していた7つの部族のひとつで、サファヴィー朝の初代イスマーイールをペルシアの王に擁立した功績により信任を得ていた。しかし、16世紀にアフシャール族の長がシャー・アッバースの母を殺害しようとしたため、彼らは強制的にいくつかに分断され、故国から遠隔地へと移封された。アフシャール絨毯は、イランの部族民絨毯として人気が高い。

◆シャーサヴァン  Shah-Savan

シャーサヴァンとは「シャー(王)を愛するもの」の意。17世紀初頭、サファヴィー朝のシャー・アッバース1世への忠誠を誓った部族集団が、民族形成の核となった。今はイラン北西部、アーザルバーイジャーン地方にその大部分が居住する。ごく少数がイラン国境に近いアゼルバイジャン共和国やガズヴィーン、ヴァラーミーンにも居住する。トルコ語南西グループのアゼルバイジャン語を話し、スーマークやゲリームなどの平織りが中心だが、絨毯も織る。

ペルシア (イラン) の遊牧民・部族民

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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イランは、ペルシア人が約半数で、そのほかにイラン系、トルコ系、その他の民族が数多く居住する多民族国家である。言語もペルシア語が公用語でも方言やチュルク系言語しか話せない人も多い。他国と接する辺境地域には、さまざまな部族民が居住し、中には遊牧を生業とする部族もある。実際に遊牧する人たちは年々減少しているが、彼らがつくりだす染織品などには、新たな商品価値が生じているのも事実である。都市や町、村の絨毯が産地名で取り引きされるように、部族名で市場に現れる絨毯も数多い。ここでは染織品に関与する部族を挙げてみた。

① イラン系 遊牧民・部族民

クルド  Kurd  コルド

トルコ東部、シリア北東部、イラク北東部、イラン西部と南西部、アルメニア共和国に居住し、総人口は3,000万人を超えるともいわれる民族である。クルド語は、インド・ヨーロッパ語族のイラン語派に属する。民族の起源は諸説あるが、一説では紀元前2,000年頃のシュメールの記録にクルド族の祖先の姿があるといわれる古い歴史を有する民族である。また紀元前8世紀にイラン高原に王国を築いたメディア人がその祖先であるという説もある。クルドの名が歴史に登場するのは7世紀イスラーム期に入ってからのことである。多くは定住するが、山岳地域を中心にブラックテントを設営して遊牧するものもいる。イランでは、コルデスターン州の州都サナンダジュ(センネ)に支族であるグーラーニー族が多く住み、ユニークなセンネの絨毯やゲリーム(キリム)を製作、ビールジャンドやガズヴィーンでも絨毯づくりに関与している。またホラーサーン・クルドとしてグーチャーンでもカフカース・デザインの絨毯がつくられている。

◆ロル  Lor  ロリー

ロル族は、おもにロレスターン地方を中心に南ザーグロス山系一帯に居住する、半遊牧および定住のイラン系民族である。彼らの正確な数は不明であるが、全体で200万を越えるものと見積もられている。民族の起源は諸説があり、一説には7世紀アラブ侵入後しばらくしてこの地に移動してきたクルド族に由来するともいわれている。ペルシア語方言のロル語を話し、古くはロレ・ボゾルグ(大ロル)とロレ・クーチェク(小ロル)にわかれ、大ロル族はさらにバフティヤーリー族、ボイェル・アフマド族、ママサニー族など多くの支族にわかれている。ロル族の名の起源もまったく不明である。しかし最初の記述は、10世紀のイスラームの地理学者や歴史家の著述に見られる。たとえば、クルド族の一つとして、ロッリヤをあげている。13世紀、ヤクートは、ビラード・アル・ルール(ロレスターン)に住むロルは、エスファハーンとフーゼスターンの間に居住すると記している。そのような言及があるにもかかわらず、ロルの語源についての論証は、いまだ不明確である。

◆バフティヤーリー  Bakhtiari

バフティヤーリーはロル族の大きな支族で、14世紀にシリアから移動してきた30部族のうちのひとつとされている。彼らは主にイラン西部のザーグロス山脈の両裾、シューシュタルの町やチャハール・マハール谷周辺に居住している。バフティヤーリーの連合は、チャハール・ラングとハフト・ラングの2つの主だった支部からなる。バフティヤーリー族はさらに小さな支族に分けられ(例えばドゥラーキーなど)、彼らのうちのいくつかの支族は、いまだに遊牧や半遊牧生活をおくり、ほんものの部族民絨毯を織っている。

しかし、ヨーロッパのディーラーの手でバフティヤーリーとして扱われているもののほとんどは、バフティヤーリー族でない織り手によってつくられるその地方の絨毯となっている。

◆バルーチ Balouch バルーチュ

バルーチ族は、イラン南東のバルーチェスターン地方や、ホラーサーン地方、そしてアフガニスタンの北西部、パキスタンの西部に居住する。いずれも各国の僻地である。多くはナーデル・シャーの治世時代にそれぞれの地に強制移動させられたものである。バルーチが歴史に顔を見せるのは、10世紀頃で、ケルマーンの南に居住していたようである。おそらくその後セルジュークの大移動の中、追いやられて東へ分散したものと思われる。バルーチ語はイラン語派の北西語群に属する。バルーチとは、古いペルシア語で鳥のとさかを意味するという説がある。その由来は不明だが、彼らの織る絨毯に鳥の鶏冠を強調した図柄が見られるという。

トルコ系遊牧民・部族民

ナンを焼くガシュガーイー族の女性たち / 2003年撮影・安井浩美

子羊を抱くホラーサーン・クルドの女性 / 撮影・安井浩美

移動用テントを背負うラクダと少年/ 撮影・安井浩美

談笑するトルクメン族の一家 / 2003年撮影・安井浩美

 
 

◆トルクメン  Turkmen  トルキャマーン

遊牧・半遊牧のトルクメン族は、イラン北東部からトルクメニスタン、アフガニスタンにかけての中央アジアに居住している。馬の飼育を生業とする部族でもある。この地域一帯は乾燥したステップか砂漠が大部分を占める荒涼とした大地である。トルクメンとは、「チュルク・イマン(イスラムを信仰するトルコ族)」、「チュルク・メン(私はトルコ族)」、「チュルク・マン(偉大なトルコ族)」に由来するなどの諸説がある。トルクメン族は古くから絨毯づくりに長けた民族で、テッケ、ヨムート、チョドル、サリク、エルサリ、サロールなどの部族が、それぞれ部族独特のギュルと呼ばれる紋章のようなモティーフの反復で構成された、いわゆる伝統的なトルクメン絨毯をつくっている。イランではマシュハド近郊でも定住化したゴクレンやヨムートのトルクメン族が絹のトルクメン絨毯をつくっている。

 

③ その他

◆ハムセ  Khamseh

ハムセとは、アラビア語で「5つ一緒に」の意で、アラブ系のアラブ、アラブ系でペルシア語を話すバーセリー、トルコ系のアーイーネルー、バハールルー、トルコ系とロル系の混合であるナファルの5つの部族連合体である。連合は、1874年頃5つの部族が、当時ガージャール朝に抵抗姿勢を示していたガシュガーイー族の連合体に対抗するため、中央政府の援助とガヴァーム・アル・モルクの主導のもとに結束したことに始まる。ガシュガーイーやバフティヤーリーのような連合とは違い、ハムセ連合の存続期間は短かく、パハラヴィー朝の設立者であるレザー・シャーによっていとも簡単に消滅させられた。今日、ハムセ連合はもはや実体としては存在しない。単に名前のみが存続しているだけである。

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