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空飛ぶ絨毯に秘められた歴史-16

執筆者の写真: 数寄の絨毯数寄の絨毯

トランスオキシアーナでは、ジンギン・カーンのモンゴル大軍勢による空飛ぶ絨毯の永久消滅に至るまで、束の間の復興を楽しんだとされる。ここでは特筆すべき2つの出来事があった。1213年、東ペルシア、ホラーサーン州のベヘローズ王子が若いユダヤ女性のアシーラーに心を囚われた。彼女の父は熟練した絨毯職人であった。ベヘローズは家族の願望に反してアシーラーと結婚し、義理の父に最良のウールと最良の粘土を用いて、より頑丈にするため竹の枠の上に特別に巻き上げた、2ダースの空飛ぶ絨毯を織るように頼んだ。


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