手織り絨毯雑学-絨毯文化の広がり4

中央アジアの絨毯-アフガニスタン


アフガニスタン北西部のヘラートは、15世紀初めティームール朝シャー・ルフによって都となり華麗な文化の花開いた地であり、サファヴィー朝においてもホラーサーンの中心地として、絨毯づくりで名の通った場所でもある。アフガニスタンとはアフガーン人の国を意味し、アフガーン人とはパシュトゥーン人を指すが…パシュトゥーン人以外にも、タジクハザーラウズベクトルクメン人、バローチなど数多くの民族が住んでおり、アフガニスタンは多民族国家としても知られてる。近代国家としてのアフガニスタンは、1797年のドゥッラーニー部族の建国に始まり、1919年のイギリスからの独立、1973年の王制廃止により、イスラーム共和国として歩み始めたが、1979年ソ連の軍事介入にはじまり、その後内戦に突入。1996年には、ターリバーンがカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言するが、2001年アメリカ同時多発テロ事件を受けて、アルカーイダを匿うターリバーン政権に対して、アメメリカ軍が空爆を開始、これよりアフガニスタン紛争がはじまり、国土は再び荒廃、いまも、内戦状態が続いている。アフガニスタンの絨毯は、一般的にアフガーン絨毯と呼ばれ人気が高い。絨毯を製作しているのは、主にトルクメンとバローチ。トルクメンのエルサリ族は古くからアフガニスタン北部に居住しており、1930年代にはトルクメンのテケ族がメルヴからヘラート周辺に流入している。サルィク族もヘラート北部にいる。絨毯は産地の名で流通するものと、通称で流通するものがある。一般にマウリと呼ばれる絨毯は、主にテケ族のギュルが用いられるが、この名はメルヴ(マルィ)に由来するとされる。主にエルサリ族によってつくられるダウラタバードは町の名だが、北部アフガニスタンの良質の絨毯につけられた取引名でもある。幾何学花文やミヒラーブ文のバローチ族の絨毯は主にアフガニスタンの西部でつくられている。また1980年代にはウォー・ラグと呼ばれる戦争の武器や飛行機をモティーフとした絨毯やその後、難民絨毯と呼ばれるパキスタンやイランの難民キャンプで織られている絨毯も話題を呼んだ。

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