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空飛ぶ絨毯に秘められた歴史-23

たった1枚を除いて、すべてを。ベン・シェリーラは書いている。死の床に伏せた偉大なカーンは、死後の天国への旅のために、最も美しい1枚を彼と共に埋葬するよう命じた、と。それで、彼の将軍たちはモンゴルの秘密の山の襞に安らげるため彼を横たえたとき、天国への乗り物を彼のそばに残した。血のように赤い絨毯で、ボーダーは火炎のような黄色、中央に黒いバラが置かれていたという。


初版/Australian literary magazine、Meanjin, Vol.63, No.2, 2004

再版/USA in Southwest Revew, Vol91, No.1, 2006

から要約


1.     カイロのアル・アズハル大学に保存されているセルジューク朝の公文書記録によれば、ベン・シェリーラは、ニザム・ハリード・アフタル・ヒルジの神学校で7年間学んだ後、消息を絶っている。ワズィム・イブン・ガーニーは、過激なイスマイリー派であるシリアのアサシンからの秘密命令に加盟し、彼らの牙城で余生を過ごしたと確信している。彼は15世紀のイスマイール派の年代記に著名な歴史家として記載されており、1256年のモンゴルの襲撃で殺害されている。

2.     炭素年代測定法と13世紀ペルシアからの葦のサンプルとの比較は、マリレナ・パンセリ博士によって推し進められている。博士は1987年の聖骸布の謎を解いた人物でもある。古文書学の形跡はその年代記が1200年から1256年の約50年以上の期間に編纂されたようである。考古学的証拠は後者の年代を支持している。恐らく著者は剣に打ち倒される前の最後の瞬間まで、写本を隠し通したのであろう。

3.     空飛ぶ絨毯は、シャハラザードの語る949夜と950夜に語られた話の中に述べられている。それは、マルドリュース&マザー版の4巻387-9頁で「8番目の隊長の話」と呼ばれている。

4.     ダウラト・シャー・ビン・アラー・アル・ダウラ タリーヒ・ホラーサーン・アル・カミール(カイロ1340) チャールズB.ムーアによる英訳(ロンドン1820) 戦いはこの本の中に手短な記述で触れられ、トランスオキシアーナ東南部の最も包括的歴史であると書かれている。

5.     ザヒール・アッディーン・マンスーリーのジャハーン・ナーマ(イスファハーン1632)373,375頁


謝辞して以下のことが記載されていた。


この論文の準備に協力した人々。ロンドン大学オリエント・アフリカ研究所の翻訳担当教授CGDセプティムス。パリ、ソルボンヌ4、考古学部門アンリ・バーク。カイロ、アル・アズハル大学イスラーム指導者(法律学者)ワズィーム・イブン・ガーニー。ベン・シェリーラの翻訳出版物は『アラムートの写本』セプティムス訳 Journal of the Royal Asiatic Society, vol. 12, no.. 4, pp. 43–56, 2003;‘Memoire sur la Vie et les Ouvrages d’Isaac Ben Sherira’, translated by Baq, in Les Mines de l’Orient, tom. IV, pp. 220–239.

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