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空飛ぶ絨毯に秘められた歴史-13

執筆者の写真: 数寄の絨毯数寄の絨毯

帝国は、空飛ぶ絨毯の商いも含め間接的なものもすべてを追討して報復した。30人の絨毯職人が家族共々広場に集められ一網打尽となった。見物人が入場料を支払って集まった。男性たちは体制破壊者として告訴され、頭は地面に転がった。全員、ザンジバル出身の黒人暗殺者によって首が切り落とされたのである。次にカリフは帝国の隅々まで密偵を送り込み、あらゆる空飛ぶ絨毯とその職人をバグダードへ連れ戻るよう命じた。ティグリス近くに何世紀も居住していた職人の小さな集団は、財産をまとめて、わずか3人の男性だけが生き延びて逃亡したという。


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