空飛ぶ絨毯は2つの理由で、イスラームの国土からは阻まれたとされる。表向きの説明としては、人は飛ぶような存在ではなく、空飛ぶ絨毯はものの道理として神をも冒涜するものであるという熱狂的な聖職者によって熱心に広められた反論である。2番目の理由としては、経済的なことであった。帝国にとっては、標準的な運搬手段としての馬や駱駝の飼育は必要不可欠であった。その理由は、歴代の支配者の奥部屋へと参入したあるアラブの一族が、毎年軍隊や商人、無産階級のために何十万頭もの馬を飼育しており、広大な種馬飼育場を所有することによって、大きな利益を上げ、裕福な暮らしを営んでいたことによる。駱駝に関しても同様であった。あるエジプトの政界実力者たち(ベン・シェリーラは具体的にハティミー家、ザヒーディー家、アブー・ハニーファ2世の子孫と列挙している)が駱駝牧場を所有し、イスラーム定刻全体に駱駝を供給する独占権を謳歌していた。これらの旧家が、空飛ぶ絨毯を普及させることにより自分たちの市場をともすれば打ち壊しかねない貧しい職人の小さなグループによって特権を奪われることを望むはずもない。このような理由から、空飛ぶ絨毯の職人たちは、彼らによって虐待されたのである。
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