手織り絨毯雑学|16〜18世紀/サファヴィー朝ペルシアを訪れペルシア絨毯に関する貴重な見聞を残した人々

最終更新: 2月26日

ポープダイヤモンドの所有者として、ダイヤモンドの歴史に名を刻む探検家、宝石商として知られるジャン・パブティスト・ダヴェルニエ

17世紀初頭・サファヴィー朝ペルシアの都エスファハーンを訪れ、マイダーン(マイダーネ・エマーム広場)付近の宮廷工房で、金糸を用いた絹絨毯がつくられていると述べている。


ユダヤ系ポルトガル人医師/ペドロ・ティヘイラ

17世紀初頭(1604年)、サファヴィー朝ペルシアを訪れたユダヤ系ポルトガル人の医師、ペドロ・ティヘイラは、その旅行記の中で、金糸や絹を用いた絨毯がカーシャーンで織られていたことを記している。


カルメル会修道士/ポール・シモン

1608年、カーシャーンを訪れたカルメル会修道士ポール・シモンは、絹と金糸の絨毯や錦織が作られているこの街は商人たちで賑わっており、インドからの富が流れ込んでいると記述している。


フランスの作家で旅行家/後イギリスに移住し、王宮付き宝石商としてナイトの爵位を得た

ジャン・シャルダン

1660年代と1670年代に書いた旅行記には、カーシャーンが絹絨毯の中心地てあったことなどが記載されている。


1704年から1729年までサファヴィー朝ペルシアに滞在した

ポーランド・イエズス会士/ダデオス・クルシンスキー

サファヴィー朝ペルシアの諸都市を巡り、カーシャーン、ケルマーン、カラバーク、マシュハド、シルワーンなどの絨毯工房について記述している。


17世紀末に出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師で

ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる

エンゲルベルト・ケンペル

1684年サファヴィー朝ペルシアの都エスファハーンで行われた謁見/宴会の場で見たケルマーン産の絨毯について記述している。


その他

アントニー・シャーレイ

ピエトロ・デラ・ヴァッレ

トマス・ハーベルト

など


多くの人々が、ペルシア絨毯に関する貴重な記録を残している。










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