シリーズ解説-パフラヴィー期のペルシア絨毯[8]
- 数寄の絨毯
- 2024年12月28日
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更新日:1月10日
輸出
20世紀の初期においては絨毯輸出のデータは、まったく信頼性がない。アニリンを使用した染め糸が用いられた絨毯にのみ関税がかけられていたため、関税手続きの管理は、輸出の申告価格の調べが成されていなかった。もとはといえば1927年6月のドイツの輸入税減額の後、安価な中級絨毯のドイツの需要のせいで、1929年に貿易は相当膨れ上がった。伝統的なアメリカの需要は、大恐慌でかなり減少する以前からですら落ち込み始めていた。アンティーク絨毯に対するヨーロッパの需要も下り坂であった。恐慌よりも重要だったのが、安価な絨毯に対するアメリカの関税で、イランの輸出業者はそれを法外なものと見なした。彼らは、その当時、高品質の絨毯を造るべきか、それともアメリカへの輸出を完全に断念するかの選択に直面していた。時を同じくして、アニリン染料の使用の増加が、ペルシア絨毯の名声を貶めていた。最後に、ペルシアのウール市場でも、ロシアの競合で、絨毯産業は被害を被った。輸出管理の撤廃とイラン・カーペット・カンパニーの品質管理の向上の強要後、貿易はいくらか改善され、絨毯は石油に次ぐもっとも重要なイランの輸出品目に留まることになったが、高い関税、割り当て制限、従来の市場からの為替制限などに追い討ちをかけられ、徐々に下降の道を辿り出した。結果として、イランにおける絨毯製造会社は、その活動が制限を受けるか、ある場合には閉鎖を余儀なくされた。第2次世界大戦の前には、主な輸出市場は、アメリカ、英国、トルコ、イラクとなった。
第2次世界大戦後、何年かは綿花に次ぐ2位と落ち込んだこともあったが、ほとんどの時期、絨毯は石油に次ぐイランの先導的輸出品目であった。1948年には、品質は低下したが(アメリカの輸入業者の見解)、絨毯生産は戦時下の低迷からは回復した。1960-61年、絨毯の輸出は1,930百万リアルで石油に次ぐ2位で、次の年は2,192百万リアルであったが綿花に上回られた。
品質の低下や機械織り絨毯との競合、海外の保護関税にも関わらず、手織り絨毯はその価値と市場は保持することができた。1952年以来、西ドイツがペルシア絨毯のメインの顧客となっている。続いて英国、アメリカ、スイスである。スイスは繊細な意匠の高価な絨毯を好んだ。アメリカは厚い絨毯が好みで、そんな訳で、アメリカ市場向けには長いパイルのものが織られた。それらはあまり込み入った文様のないパステル調、とくに明るいブルーとピンクが主流であった。ケルマーンは未だにこの市場向けの中心的供給者であった。1960年代の終わりになると、品質の低い水準のもの(染めや結びに関して)が逆に輸出に好まれ始めた。1971-72年には、たった73百万ドルの絨毯が輸出されている。この落ち込みが改良に結びつき、その結果として、1973年の前半には輸出と価格が急上昇し、後半にはメインの絨毯市場を襲ったオイル・ショックのせいで、再び急激に下落した。多くの工場で生産が低下し、絨毯が織り機に半製品の状態で残されることもあった。この下落は、しかし短い期間で、生産の質と輸出の量はともに1974年には上昇し、それは部分的にはよりよいマーケティングの結果であった。
価格の上昇とインドやパキスタンの絨毯との競合激化は、国内や世界の市場ともに長い期間を通じての要求に応じた効果を持ち続けた。そしてペルシア絨毯は輸出品目の3位に落ち込んだ。そして1978-79年のイスラーム革命とそれに続くイラクとの戦争のため、手酷い打撃を被った。1978-79年の絨毯輸出は、パフラヴィー体制の未来に対する不確定さとイラン・イスラーム共和国の方向性を反映して、たった84百万ドルの総計にしか達しなかった。1980-81年には、しかしながら輸出は、前政府の制限の撤廃も部分的に影響して、30.2百万リアル(425百万ドル)と、今までにない高額に達した。1981年のイラクとの戦争の勃発と新政府の貿易制限で、絨毯輸出は再び1978年レベルへと落ち込んだ。とくに公定交換レートによる政府へのすべての外貨受け取りを販売する義務は、絨毯輸出の1982-83年で5.6百万リアル、1983-84年で7.14百万リアルの落ち込みを引き起こしただけでなく、生産と雇用の落ち込みも招くこととなった。戦費の上昇と同時に起こった雇用と収益の拡大が国家的、家庭的レベルで必要となり、政府は輸出業者に奨励金を供給し始め、その結果、絨毯産業は強さを取り戻した。1986-87年には、絨毯輸出は28,217百万リアルに激増した。絨毯産業は、さらなるマーケティングと品質の向上によって、インドやパキスタン、アフガーン絨毯の失われた市場も取り込み、近い将来1億リアルを超過することも期待されていた。
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